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中津川村(なかつがわむら)は、1949年から1954年にかけて鹿児島県薩摩郡の北部にあった村。 薩摩郡大村の飛地部分であった大字南方・大字北方が1949年2月1日に分立し、いわゆる昭和の大合併により1954年12月1日求名村・永野村と合併、薩摩町の一部となった。現在の薩摩郡さつま町中津川にほぼそのまま相当する。 == 自治体としての歴史 == 薩摩郡大村のうち中津川地区は、間に黒木村を挟み、飛地を形成していた。大村役場からは近くとも8km、遠くは16km離れており、不便であるとして1920年代より分村の議論があり、1948年4月10日になって村議会で分村が議決され、同年12月27日の県議会議決を経て、1949年2月1日に中津川村として発足した。当時の人口は2,745人、戸数は469戸、主産業は農林業であった。 昭和の大合併では適正規模とされる人口12,000人をはるかに下回っていたため、鹿児島県は同様に適正規模を下回っていた求名村(約4,200人)・永野村(約4,300人)〔求名村は宮之城町の飛地部分が1922年に独立。永野村は西太良郷(大隅国菱刈郡所属)の一か村であったが、当村のみ薩摩国伊佐郡所属であったため、1889年の町村制施行の際に独立。〕との合併案を提示、これに従い1954年12月1日に3村が新設合併し薩摩町が発足し、中津川村としての5年の歴史に幕を下ろした。町役場は新町のほぼ中央にあたる宮之城線広橋駅(旧求名村、1987年廃止)付近におかれた。なお、薩摩町は2005年に宮之城町・鶴田町と合併し、さつま町の一部となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中津川村 (鹿児島県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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